香港VIPインタビュー

【香港返還10周年記念企画】岩見武夫・東洋警備(香港)会長


岩見武夫・東洋警備(香港)会長1997年7月1日――。雨が降りしきる中、香港でユニオン・ジャックが降ろされ、五星紅旗が上った。今年の7月で、それからちょうど10年が経つ。中国に返還されることへの不安と期待が香港内に渦巻く中、返還をまたぎ、香港の移り変わりを目の当たりにしてきた日本人たちがいる。それぞれの日本人の目から、“Hong Kong”が“香港”になっていく変貌ぶりを自由に語ってもらった。【聞き手・NNA香港華南編集部】

■Q.中国返還が決まった80年代、香港社会はどのような雰囲気でしたか。

もともと新界地区の租借期限が1997年に来るというのはわかっていましたから、個人的には必然的なものとして抵抗感はなかったです。しかし、香港市民の中には共産主義を嫌って上海から逃れてきた人たちも大勢おり、香港が中国に返還されると決まるや、彼らの拒絶反応は大変なものでした。また中国の時と同じ目に会うのか、という恐れだったのでしょう。

84年に中英合意が仮調印されましたが、その中で注目していたのは「一国両制度」と「港人治港(香港人による統治)」の2つです。新しい香港基本法を読む限り、今後50年間は従来の資本主義体制が不変だとされたので、私は不安を持ちませんでした。

しかし返還が決まった直後から香港市民の脱出組が増え出し、カナダや英国、オーストラリアなどに移民するために97年までの10年間で約10万人が香港を離れました。香港市民ならだれもが移民を考えていました。

その一方で、ヤオハンなど日系百貨店の進出が相次いで日本人はどんどん増えていましたね。

■Q.中英両国の香港統治政策をどうみていましたか?

英国統治時代は公務員の多くが英国人で、警察官だけで1万数千人の英国人がいました。当時は、交通規制や警備などでも、市民を統制していくのだという誇り高い威厳が感じられました。バスの運転手でさえ、「ユニホームの威厳」を盾に威張っていたほどです。

返還後はそれがやや緩んだ感があります。よく言えば、警察や役人が以前と比べ優しくなったとも言えます。

でも公衆衛生や生活マナーが返還以来、悪化した側面もあり、「香港の中国化」は意外に早く進むのだな、と思ったものです。もっとも、かつては市民の数も今ほど多くはなかったので、現在は社会的マナーを身につける過渡期にあるのかもしれません。

■Q.日本人は当時も香港をよく訪れていましたか?

返還前年の1996年は、返還前に香港を見ておこうという理由から、通年は百数十万人程度なのに、230万人以上の日本人が来港しました。返還されると、香港が北京や上海のような都市になってしまうと考えて、香港グルメや買い物を駆け込みで堪能しておこうと思ったようです。

香港が50年間、劇的に変わることはない、という政府間の合意があるわけですから、よほど共産主義に対する不信感があったのでしょう。

■Q香港の将来を危惧する声も聞こえます。

中国政府は、台湾問題のためにも、返還後の香港がモデルケースとして政治的に安定することを目指しています。香港の活性化が失われて、国際的な信用を失墜するのは望んでいないでしょう。

香港は、日本がまだまげを結い、刀をさげていた時代にビクトリアピークに向かうケーブルカー建設に既に着手していましたし、水洗トイレを世界で最も早く整備した都市の一つです。また、電報が発達していたために郵便局も既に機能していました。香港は、先進都市としては日本の大先輩なのです。世界の高度なインフラや生活情報が優れた港湾機能を持つ香港に集まったため、アジアで最も早く文明化・国際化を成し遂げた都市になったのです。

そうした面から「自分たちは中国本土人とは違うんだ」という自負がある香港人も非常に多いのです。同じアジア人として、われわれ日本人も敬意を払うべきでしょう。

香港が今まで以上に繁栄していくためには、香港市民が団結して努力することが不可欠で、苦労をいとわない香港人なら成し遂げられるでしょう。座して没落を待つよりも知恵を絞り、ひたむきに明日へ向かって邁進する香港市民がいる限り、私は将来を心配することはないと思っています。【聞き手=香港・華南編集部】<香港>

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