イチヤ・インドネシア社長、市原和雄さんイチヤ・インドネシア社長、市原和雄さん(48) 成長を信じ独立を決意、「日本の食品の良さを紹介拡大したい」2008/6/12
インドネシアとの縁は、大学3年生のころに初めて訪れたときにさかのぼる。 大学から補助金を得たことで実現した旅行で、それまでもアジアへの興味はあったが、インドネシアに特別な思い入れはなかった。 だが、実際に訪れてみて、国の大きさ、人々のおおらかさに強く引かれた。 その旅で出会った大学の先輩が経営していた日イ間の取引を行う商社に請われ、インドネシア駐在の確約を得て入社した。 ■食品が伸びる 入社して1年後、約束通りジャカルタに赴任。生活してみて、「食品部門が伸びる」と確信、社内での事業展開を提案したものの実現しなかったため、「それならば自分でやってみよう」と、1987年に独立した。 89年には提携先の地場銀行が破たん。97年にはアジア経済危機と2度の大きな危機に直面するも乗り越え、現在は当初の事業、日本食材の輸入・卸から、日本食スーパーなど流通に事業を拡大している。 「日本の商品はすばらしい」。そのすばらしさを紹介することで事業拡大につながっていけばと思っている。 ■空手部を立ち上げ 大学時代は空手部に所属。当時「日本一」だった同部では、勝つことが「至上命令」。特に上級生になってからの厳しい練習は実につらかった。 貴重な仲間や先輩・後輩との出会いもあり、今となってはいい思い出だが、「あのころにだけは戻りたくない」そうだ。 ジャカルタに住み始めてからも地元の道場に顔を出していたが、95年に腕に覚えのある3人が集まり、ジャカルタ・ジャパン・クラブで空手部を設立した。 同部では会長を務めており、毎週日曜日には指導や練習に汗を流す。部員は計35人。多くは初めて空手に触れる人たち。日本に帰国した「卒業生」の中には、大会で賞を取るほど熱心に続けている人もいて、「設立して本当に良かった」と振り返る。 ■能力超えたら譲る 事業の方は、総勢千人以上を抱える大所帯に成長した。これまでは自分の力量で対応してこれたが、将来は「自分の能力を上回る」企業に成長するかもしれない。 そうなったら、会社の成長を阻害しないよう、「自分よりも能力のある後継者に譲るとき」と戒めている。 能力の限界が先か、年齢に伴う体力の限界が先か。どちらになるかはまだわからないが、適切な判断をしたいと思う。 周りの人には、「インドネシアに骨をうずめるのでしょう」とよく言われるが、実は引退したら「日本で過ごしたい」のが本音だという。 長男は来春、日本の高校に進学を予定。次男が高校生になるころには、妻も日本に帰ることになるだろう。それまでに後継者が育ち、自身は日本とインドネシアを「行ったり来たり」が目標。 ただ、現実には「まだしばらくは、インドネシアにどっぷりかな」と意欲的に語る。(インドネシア編集部・久芳誠子) [P R] [P R] [P R] |
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