近藤良さん:PT. Yosindo Hospratamaコミッショナーサービスアパート「プリよしこ」レストラン「トラットリアよしこ」オーナー

「日本語は苦手ですが」と謙そんしながら話すのは、名前が日本名、国籍がインドネシア、得意言語が英語という、インドネシア人とのクオーターの近藤良さん。

1999年に他界した母の芳子さん(享年69歳)が残したジャカルタの老舗日本食レストラン「よしこ」とサービスアパート「プリよしこ」を引き継ぎ、7歳年下の妹の麻里さんと二人三脚で経営を続けている。

脱国籍とおふくろの信用、受け継いだ財産 妹と「日本」ビジネス

2004/4/6

近藤良さん

母は日本人社会のマダム

近藤さんの父親は、第2次世界大戦中にカリマンタン島に上陸していた日本軍人と現地女性の間に生まれたハーフ。戦後一家で日本に渡り、神奈川県横浜で父親と新潟県出身の芳子さんが出会い結婚。高度成長期の海外ブームに乗り、両親はハワイとインドネシアへの渡航ビザを申請し、ビザが早く発給されたインドネシアへ57年に渡った。

芳子さんは渡航後、投資ブームでインドネシアに進出する日系企業の駐在員が食事に困っていることを知る。横浜で食堂を切り盛りした経験を活かし、70年にジャカルタで2番目となる日本食レストラン「よしこ」をオープンした。以来芳子さんはジャカルタの日本人社会で「マダム」の愛称で親しまれる存在となった。

「うちの一家の大黒柱は父親ではなく、マダムだった」と懐かしそうに語る近藤さんが、ビジネスで常に心がけているのは、母から学んだ「信用第一」の精神だ。日本人とのビジネスでこの母の言葉の重要性を実感しているという。

グローバルな環境で

59 年12月にインドネシアで生まれた近藤さんは、小中高とインドネシアの学校に通う。歴史の授業で日本軍政期の話が出るといじめられることもあったというが、「昔の話」とあまり気に留める様子もない。18歳で国籍を選択する時、母に意見を求めると「(インドネシアで生きていくなら)当然でしょ」と迷わずインドネシア国籍の取得を勧められたという。

近藤さんは大学で本格的にホテル学を学びたいという思いからアメリカへの留学を決める。卒業後はヒルトンホテルのマネージメント部署に就職し、計11年間のアメリカ生活を送った。途中、スリランカのヒルトンホテルのオープニングスタッフとして同国に滞在した経験もある。

「アイデンティティはどこですか?」との問いには、しばらく考えて「Citizen of the World(世界市民)」との答えが返ってきた。日本への長期滞在経験は1歳のころの1年間だけで記憶はない。それでもおふくろの味は「みそ汁とお新香」というから、また複雑だ。

小さいころから日本人駐在員と接してきた近藤さんは、最近の駐在員は昔と違っていろいろなものを吸収する柔軟性があると分析する。「国境なんてなくなって、世界市民がどんどん増えるんじゃないかな」と語った。

今は33歳の時に結婚したジャワ人の奥さんとの間に2男1女のお子さんを持つお父さん。学生時代はバスケットボールでセンターを守るスポーツマンだったが、現在の趣味はもっぱら仕事なのだとか。

近藤さんは44歳になった今、「よしこ」の名で築いた信用を守りつつ、時代に合わせた発展を模索中だ。レストランでは日本料理のほか、イタリア料理もメニューに加え、今ではお客さんの6割がインドネシア人。サービスアパートは日本人客でほぼ満室の状態が続いている。新たに不動産ビジネスも始め、不動産会社社長としての一面も加わった。この会社名にももちろん「よしこ」の名を付けている。

レストランで働くインドネシア人ウエートレスは見事に着物を着こなす。着付けやのれんの色を季節ごとに替えることなどの老舗の伝統が、開店当時から30年以上働き続けているベテランのウエートレスと日本人の板前から新人スタッフにしっかり引き継がれている。店内に飾られた開店当時から訪れたインドネシアの政界著名人と芳子さんが映った写真の数々が、今も近藤さんと店で働くスタッフを温かく見守っている。(インタビュー伊藤裕子)

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